高すぎるレベルのサービスは長続きしない

不規則な仕事柄、平日に休みをとったり、自宅の書斎で仕事をしたりすることがあります。
そんな時、日に一度は近所のスーパーに足を運びます。
生活臭漂いますが、ちょっとしたスーパーでの買い物は気分転換にもなりますし、お客さんの入り具合や、食品の陳列や告知などを見るのも面白いのです。
結果的にはスーパーを定点観測していることになり、いろんな気づきがあります。

最近考えさせられたのが、自転車置き場におけるサービスです。

お店の前の自転車置き場には、シニアワーカーと思しき2~3名の整理係のおじさんがいます。現役時代いい仕事をしていたのでしょう。シャキッとしています。

自転車整理係の役割は、常識的には二つあると思われる。
・お客さんを、自転車置き場の余裕のある場所に誘導する。またいっぱいであれば「満車ですので、奥に進んでください」などと案内する。
・自転車が倒れたり通路にはみ出したりしていたら直す。

しかし、そのおじさんの働きぶりは「業務マニュアルレベル」をはるかに超えたものでした。
例えば、
・お客さんが買い物を終え自分の自転車に近づくと、さっと歩み寄り隣の自転車をどけて出しやすいようにしてあげる
・特には「どちらにお帰りですか?」とお客さんに尋ね、自転車を列から出して帰る方向に向けてあげる
・風向きが変わると、風で倒されないよう自転車の角度を調整する
・時間があると自転車を、美しいと言えるレベルに等間隔に整列する
・おばあさん(の場合が多い)の帽子が風で飛ばされると追いかけていって拾ってあげる
等々。

「これぞ、感動のサービス!」とぐっとくる光景を何度も目にしました。

しかし、
これらの「おもてなし」もどうやら長くは続かなかったようです。
最近では、サービスこそ悪くありませんが、いわゆる「普通の自転車置き場係」のサービスレベルとなりました。

そうなってしまうまでに、次のような様子を見かけていました。
・お客側が手厚いサービスに慣れてしまい「ねえねえ自転車出して。」と横柄な態度でおじさんを呼びつける
・お客側が、係の人がやってくれると思うからなのか、自転車を置くべきラインから大きく逸脱し乱雑に放置して店に入ってしまう
・新人と思われるスタッフ(おじさん)が、先輩スタッフに動きの悪さを怒鳴られてふてくされる

つまり以下のような段階を経たのだと思います。

顧客視点に立ち、感動レベルのサービスを提供する

最初恐縮していたお客側が、高いレベルのサービスに慣れてしまう

そして、常に同じ水準のサービスをあてにしてわがままになり、それが提供されないと不満を訴える

提供者側のモチベーションが低下するとともに、高いサービス水準を均質に維持することが物理的にも難しくなり、結局サービスレベルを下げざるを得なくなる(もしくは、やってられんとあきらめ最低限のサービスレベルにあえて止める)

さて、これはとても小規模で断片的な私の観察からの例ですが、何かを思い出さないでしょうか?

そう。昨今にわかに話題となっている「宅配便の危機」の件です。

その概要は説明するまでもありませんが、私自身、送料無料・翌日配達・再配達のきめ細かいサービスに大いに甘えているユーザーの一人だけに心が痛みます。

「これサービスしとくよ!」の気前にいい言葉に代表されるように「サービス=無料」という意識が未だに根強いこともバランスを欠く要因なのでしょう。

「おもてなしの国、ニッポン」と言っても、レベルの高すぎるサービスがずっと、ましてや無料で続くことは難しい。

バランスよく高品質のサービスが維持されるためには、それを享受する側はわがままになることなく、我慢や歩み寄りも不可欠ですね。
AIが発展しても、「バリューチェーンの最後は人が何とかしている」というケースはなおさらです。

そんなことを再確認させられる、スーパーの自転車置き場のストーリーでした。

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