大阪北部地震の日に

6月も終わり東京は梅雨明け、夏本番ですね。

6月18日7時58分。
私は京都のホテルのエレベーターの中にいました。
そう、先日の大阪北部地震の瞬間です。

朝登壇会場に向かおうと、宿泊していた7階からエレベーターに乗りました。いつもこの時間のエレベーターは混むのですが、たまたま私一人です。

すると突然ガタガタと大きな音とともに上下、前後左右に体が振られました。
すぐに地震だと理解できました。
「終わったな」と思いました。その意味は二つ。一つは、このままエレベーターが落ちて命を落とすかも。もう一つは閉じ込められてエレベーターから出られない。

そんなことが頭によぎった直後、4階でエレベーターのドアがいつもより勢いよくガバッと開きました。咄嗟に飛び出すと、そこには女性2人が「階段はどこ?」とうろたえています。
私は「階段はこっちです」と二人を誘導し、ロビー階まで一緒に降りました。

揺れはそう長くはなかったのですが、ロビー前のレストランの照明は激しく揺れています。震源が大阪北部で震度6弱だったことはすぐにスマホで確認できました。

その後状況が落ち着き、家族にLINEで無事を伝えて仕事場の会場に向かいました。
他のホテルの前にはパジャマ姿で不安そうに呆然と立ちつくす外国人観光客の姿も見られます。咄嗟に飛び出したのでしょう。
その後は地下鉄・バスを除きほとんどの交通機関がストップ。
幸い研修会場が徒歩圏内だったので、私は無事到着しました。
しかし交通麻痺で会場に来れない方も多く、研修は予定よりも少人数で約1時間遅れでスタートしました。

その後の様子などは報道の通りで、私が以前住んでいた高槻・茨木地域を中心に大きな被害がありました。

その日は余震も含め不安な心境で1日を過ごしましたが、この日2つのエピソードから感じたことがあります。

一つは、研修会場での話です。朝、会場に無事到着できた参加者の方が、まだ到着していない仲間の状況積極的に確認し、「○○さんはまだ電車の中みたいです」などと自ら情報共有してくれるのです。また何とか到着した参加者に対して「大丈夫でしたか?」などと声をかけます。
いつもだと朝一は反応は鈍く、互いに探り合っているような硬い雰囲気からスタートすることが多くなりがちです。しかしこの日は、研修開始前から参加者の方同士のコミュニケーションが活発で、とても自然で良い意味で肩の力が抜けた場が形成されていました。1時間遅れてスタートした研修でしたが、終始一体感のある素晴らしい場となったのです。

もう一つのエピソードは、登壇を終えホテルに戻ったときのことです。
ホテルスタッフの方が入り口で待ち構えていて声をかけてくれます。
「お帰りなさいませ。実はまだエレベーターが動いておりません。申し訳ありません。階段と従業員用のエレベーターを乗り継いでお部屋までご案内いたします。」と、私の荷物を持って部屋まで誘導してくれました。
さらに「本日スタッフの多くが出勤できておらず、アメニティのお取り替え以外の清掃が行き届いておりません。大変申し訳ありません。」と。部屋のドアには支配人名でのお詫びのメッセージカードがはさんでありました。

「出入り口でのお詫び→荷物をもって階段で客室に案内→部屋の前で清掃についてのお詫び」スタッフの彼は今日は同じことを何度繰り返したことでしょう。額には汗がにじんでいます。
「いえ。とんでもない。困ったときはお互いさまです。今日は大変でしたね。エレベーター早く動くといいですね。頑張ってください。」そう言って部屋に戻りました。

大変な一日でしたが、この2つのエピソードで何かあたたかい気持ちになりました。
研修参加者の方々の動き・コミュニケーション、場の雰囲気といい、ホテルのスタッフの方とのやり取りといい、平常時では感じられない心の通じ合いのようなものを感じました。

地震という緊急事態を共に経験したことで互いの心のバリアが解け、互いを守り気遣うちょっとした言葉や行動が、そこにいる人同士の絆のようなものを生んだのだと思います。

もちろんこのような災害はあってほしくありませんし、被害が大きかった方にとってはそれどころではありません。心よりお見舞い申し上げます。私が感じたこの話は、各自の安全は確保されているという前提での話でしょう。

ただ、本来、人は思いやりがあって、それを素直に表現すれば互いにもっと優しくなれる。日頃私たちは少し警戒感や緊張感のようなバリアを、自らつくってしまっているのではないか。

そんなことを感じた6月の一コマでした。

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